間違いだらけの酒常識 -7-

間違いだらけの酒常識

間違いだらけの酒常識

第七話 料理の邪魔をしない酒=料理に合う酒?

 「つまみがいらない」というのが、良い酒の表現として使われることがあります。また、「本当の酒飲みは、飲むときは食べないものだ」などと言われることもあります。私事ですが、私の父も飲むときは食べない人でした。でも、旨い酒を飲むと何か食べたくなり、美味しい料理を食べると酒を合わせたくなる、というのが健全な酒飲みだと、私は思っています。

■邪魔をしないこと水の如し?
 料理雑誌など見ていると、「料理の邪魔をしないのが、料理に合う酒だ」と言う料理屋さんが結構おられます。そういうお店では、さっぱりした淡麗辛口の酒を勧められることが多いようです。
 料理人にすれば、料理の味が第一でしょうから、酒で料理の味が変わるのは嫌なことなのだと思います。しかし、邪魔をしないだけなら、料理と酒のハーモニーは生まれません。料理を一、酒を一としますと、邪魔をしない酒というのは、一足す一が二にしかなりません。料理の味を損なうことはないかもしれませんが、より美味しくすることもないのです。

 食事のときに酒を飲むのだったら、料理も酒も、味をより深く感じられるようにならないと意味がないと思います。それだけでは一ずつの料理と酒を、三にも四にもさせられる酒が、料理に合うと言えるのではないでしょうか。
 料理の邪魔をしないという消極的な合わせ方を考えれば、とにかく味の薄い、それこそ“水のような”酒が選ばれるかもしれません。でもそれなら、美味しい水かお茶のほうが、よほど気が利いています。
 名酒のたとえとして「水の如く、さわりなく飲める」という有名な言葉があります。しかし、ここで言う「水の如く」とは、“水のように薄い”こととは違います。引っかかることなく、すべるように飲めるのが良い酒だという意味であって、味の薄さについて述べた言葉ではないのです。それを履き違えて、本当に水のような酒が流行したりもしました。

■ごはんのような酒
 私は常々、“ごはんのような酒”を造りたいと言って来ました。日頃振り返られることは少ないのですけれど、ごはんは本当に偉大だと思います。ごはんは何にでも合います。和食はもちろんのこと、肉料理や揚物などの洋食から中華料理まで、合わせる料理を選びません。美味しい料理にごはんがあれば、料理もごはんもさらに魅力を増します。それでいて、強烈な自己主張をすることもない。当たり前のように食卓にあって、しかも存在感がある。酒造りに携わるようになってからは余計に、ごはんの凄さを感じるようになりました。
 “ごはんのような酒”と言っても、当然、ごはんのような味の酒を造ろうとしているわけではありません。ただ、ごはんと同じく、素晴らしい力を持つ米から造られるのだから、ごはんのように、どんな料理も幅広く受け止め、料理とお互いに高め合えるような酒を目指すべきだと考えたのです。かといって、しゃしゃり出ることなく、料理を引き立てる脇役に徹し、かつ存在感のある酒なら最高ですね。

■ポイントは、“旨味”と“酸”
 では、料理を引き立てる酒とは、どんな酒なのでしょう?
 酒自身も旨く、その上、料理も引き立てるとなると、酒としての力が十分になければなりません。

 酒は、米と水から造られます。酒としての力を備えるためには、米と水の力を生かした酒であることが必要です。濃い・薄い、甘い・辛いなどに関わらず、米と水の力が生きた酒ならば、米由来の旨味が感じられるはずです。私は、他の酒類と比べて日本酒が抜きん出ている点は、その複雑な“旨味”だと思っています。
 そして、もうひとつのポイントは、“酸”です。
 酒業界では、酸を悪者扱いしてきた歴史があります。何十年か前までは、酒が腐ることも珍しいことではありませんでした。酒が汚染されると酸が増えます。その怖さがのちのちまで引きずられ、とにかく酸を低くする造り方が受け継がれてきました。昔の酒と今の酒では、その味もずいぶん違いますが、特に酸度は顕著に低くなっています。
 酸は、料理の味を受け止め、味を切り、飲んだり食べたりのリズムをつくります。次の一箸、次の一杯へ誘うのが酸なのです。ですから、酸の乏しいような酒は、食中酒には向きません。
 複雑な旨味とそれを支える多様な酸は、酒と料理双方の魅力を増し、食事のひとときを一層充実させてくれるのです。

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