間違いだらけの酒常識 -6-

間違いだらけの酒常識

間違いだらけの酒常識

第六話 吟醸酒は、香りが命? その二

 「吟醸酒のお燗を飲まれたことがありますか?」
こう訊ねると、たいていの人はびっくりします。
 「吟醸酒って、お燗してもいいんですか?」
と逆に訊かれたりします。
 「吟醸酒は冷やで飲む」というのも常識となった感がありますが、実は、“吟醸酒だから”お燗してはいけないのではなく、お燗に向かない吟醸酒が多いだけなのです。

■楽しめなくっちゃ、酒じゃない
 私は、日本酒の持ち味を、その度量の広さだと考えています。つまり、
いろんな温度で飲んで楽しめる
幅広く料理と合わせて楽しめる
熟成による変化もまた楽しめる
といった、どのようにしても楽しめる懐の深さが、日本酒の真骨頂だと思うのです。この三要素を満たし、かつ飲み飽きせずに飲み続けられる酒なら、それは秀でた酒だと言えるでしょう。
 無論、吟醸酒といえども、れっきとした日本酒です。それなら、以上のような楽しみ万ができなければ、酒としては物足りません。ところが、香りプンプンの吟醸酒は、この三要素のどれにも当てはまらないのです。
お燗すると、ただでさえ高い香りが鼻につき、旨くは感じられない
香りの高さが、料理と合わせる邪魔になり、食事も酒も進みにくい
香りの成分は劣化しやすいので、よほど気をつけて熟成させなければ、不快な臭いになる
それに、高い香りの吟醸酒を飲み続けるのは、好きな人でもしんどいと思います。
 本当は、飲んで旨いかどうかがすべてのはずです。ところが、今までの酒業界内では、「香りさえ高ければ」という意識が強すぎたきらいがありました。品評会、鑑評会などの審査も同じく、不幸ななことに、飲むことを第一に考えられてきたものではありません。“全国新酒鑑評会金賞受賞酒”などというと、一般の方は「どんなに旨い酒だろう?」とお思いでしょうが、品評会、鑑評会の入賞酒のほとんどは、少なくとも私にとって、決して旨いとは思えない酒なのです。
 「品評会、鑑評会は技術を競う場であって、旨い酒のコンテストではない」、「出品酒は審査のために造られているのであって、飲むための酒ではない」と喝破した審査員の先生もおられました。そこまで割り切った言い方ができるのは尊敬に値しますし、それもひとつの見方ではあるでしょう。しかし私は、酒造りの技術は旨い酒を造るためのものだと思っていますので、技術を競った挙句、旨くない酒ができるということに納得がいかないのです。

■旨さ極めて吟醸酒
 第五話からここまでの文章をお読みになると、「吟醸酒って美味しくないのか」と思われることでしょうね。しかし、「吟醸酒」そのものに罪はありません。飲む旨さを追求せず、香りにこだわった吟醸酒が「吟醸酒」のイメージを狭めているだけなのです。先に述べたような日本酒の幅広さ、奥深さを見せてくれる吟醸酒だって、もちろんあります。また、特にこれからは、飲んで旨い吟醸酒がどんどん出てくるはずです。香り重視の方向性が行き詰まったことに気づいた造り手が増えてきていますから。それに、品評会、鑑評会の姿勢も変わりつつありますし、その権威も昔ほどではなくなったので、そういう価値観にとらわれない、個性的な吟醸酒も続々と生まれるのではないかと期待しているところです。

 そもそも、吟醸酒は旨くなければなりません。なぜなら、最高級の酒米を惜しげもなく高精白し、杜氏、蔵人が精魂込めて造った酒が旨くなかったら、お米ももったいないですし、せっかくの努力が水の泡です。香りにこだわり、旨さを犠牲にするなんてナンセンスだと思います。
 私は、吟醸酒というものは、もっと大きな可能性を秘めていると信じています。実際に現在でも、驚愕すべき旨さの吟醸酒は存在します。私が今までに味わえた素晴らしい吟醸酒たちは、ワインなど、他のどんな酒と比べても引けを取らない逸品でした。それらの香りは、おだやかで上品です。そして、お燗すれば旨さが増し、美味しい料理とはお互いが引き立て合い、熟成させて味が深まります。そんな吟醸酒なら、飲み飽きするどころか、ずっと飲み続けていたいと思わせてくれるのです。
 みなさんには、銘柄とか品評会の成績などにとらわれず、ご自分の心と身体に合うかどうかを、感性で判断していただきたいと存じます。
 私も、飲んでくださる人が感動を覚えるような吟醸酒を造れるよう、今後も精進する所存です。

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